1990年代のアウトドアシーンは、
オート・キャンプなどに代表されるキャンプテクニックや
快適性を重視する野営に支配されていた。
その姿勢に対しての不満が頂点に達した頃、
ジンバブエのヴィクトリア フォールズで
若者向け(中学生)の紙ダンボール製将棋を製作していた
OK(会長)と もきち(管理人/米炊技術主任)が、
*写真の将棋版はダンボールではありません。
そのクラブに出入りしていたゆうじ(炊事班長)と、
その他大勢十数人を
反社会的な発作的焚火野営集団のメンバーとして、
【海山愛好会】を結成させた。
当時のメンバーの一人である【極東のラジオ改造エンジニア】
ことモゲ・モゲ(5級通信士)
は後にこう語る。
「もきちはその他大勢なんて言い方しやがるが、
本当にたくさんのメンバーが加入していたんだ。
それこそ俺たちのクラスの3分の2が加入していたといっても過言じゃない。
そのうち他のクラスの連中まで顔を出す始末さ。その中にはあの
【中学生にして新聞配達して購入したときメモにハマる漢】こと
オ・バンドー(4番)や、
【燃える陸自】ことマルシン・ハンバーグ(偵察隊長)、
【Wゆうじ】ことODA・ユージ(芸人)ら
そうそうたるメンバーが参加していたんだ。」
結成1年目の【海山愛好会】は、
20名近くが参加するという異様な盛り上がりを見せ、
六甲山を若者らしくロープウェイを利用して、
まったく苦労することなく頂上に着いて
備え付けの古臭いゲームセンターで遊んで下山する
という「ゲームはするが自分の足で登らない」登山
という新機軸を打ち出したり、
ゴムボートを自転車に積んで二色浜まで
必死こいてチャリで行ったものの、
ゴムボートに穴が開いていて
「世の中思い通りに行かんなあとつぶやく」海水浴
などの、記憶に残る新しいアウトドア・シーンを演出した。
しかし20名近くという大所帯であった
当時の【海山愛好会】メンバーは、
野営に対するテクニックや野営理論を
必要としないシンプルで攻撃的な焚火、
二色浜や京都、六甲山牧場のゲーセンまでを
標的にした野営活動、
ビリビリに切り裂いた白菜を
中華鍋に投下するクッキング、
冬の凍結した金剛山を、
アイゼン無しのスニーカーで登山して
軽く右手首を骨折したもきちの自爆・スタイル、
学校の球技大会でストを強行するという
人を馬鹿にしたような態度など、
この発作的焚火野営集団の
権力や体制に反抗的な態度は、
不満を抱えた労働者階級の若者たちを
次々と駆り立てる結果となり、
ついにジンバブエでは放送禁止令まで受けてしまう。
彼らは世界中の若者たちにとっては
反抗を肯定してくれる存在だった。
のちにオ・バンドーは
ときメモ(彼らが否定するべき伝統的なイン・ドア)が好きであると
公言したり、当時の最新流行であるボー・リングや
カラ・オーケストラといった方面に新境地を
見出すメンバーが続出し、コアメンバーであるOK、
ゆうじ、もきちといったラインを除いて
戦線は崩壊してしまう。
別々の高校に進学した3人は、
それぞれ別々の活動を始めたので、
海山愛好会は事実上活動休止状態に追いやられてしまった。
ここまでが俗に第一次西日本何でもケトばす会ムーブ・メント
と称される。
そして一年が過ぎた・・。
勢い芸人・ゆうじは、中学のとき陸上部に所属し、
プロレスという新機軸を陸上部に普及させて
弱体化を招いてしまったので、
同じ中学出身の先輩が陸上部に所属している可能性から
陸上部を選択することはできなかった。
そこで彼は趣向を変えて山岳部に入部し、
そこでもその勢いぶりを発揮して部長のイスを得ようとしていた。
(翌年、つまり高校3年には若干17歳で部長に就任。
これは当時の部長としては異例のことで
当時の平均部長就任年齢38歳というデータを見れば
その偉大さが感じられるだろう。)
OK会長は、順調に私立進学校に進学したのだが、
彼はある日手違いから宿題を忘れてしまう。
彼は教師にこう言われた。
「やる気ないんやったら、やめてまえ!!」
彼はゆっくりと立ち上がり、ゆっくりとかばんに教科書を詰め込み、
ゆっくりと教室から出て行った。
その後、彼の姿をその高校で見かけたという話は聞かなかった。
まさに漢とはこうあるべし、と言えよう。
しかしその後、大和川の川べりで、
高校の制服を着たままお弁当を食べているところを、
彼の妹に発見されてしまい、
転校する羽目になっているが私はこんなことまで
書いていいのだろうかまあいいかもう過ぎたことじゃないか
なあ会長よ
そしてもきち氏は水泳部がまあまあ強く、
全然勉強してなくても入学できそうな高校を探しているうちに
(当時の中間試験の家庭科で399人中399位という好成績を
叩き出したもきち氏は突出していたといえる。)
電車で片道40分もかかってしまう片田舎の高校に
進学してしまっていた。
しかし、もきちはそこで、
O前(現役軍曹)や、
センター前(トルマリン研究家)、
そして
陸上部にスカウトされつつもなぜか水泳部に入部した
幻のレアキャラクターnみつ、
えがさん(おみやげは無事故でいいのよお父さん)といった
現在の西日本何でもケトばす会のメンバーを、
入部した水泳部で発見するのであった。
もきちは中でも
「同じ金額ならば必ずカロリーの高い食品を購入する」
という大宇宙の黄金律ともいうべき
カロリー至上主義を唱えるO前に接近する。
「どうして君は38歳に見えるんだい。」
「何故君は軍曹のように見えるんだ。」
「海山愛好会に入会しないか。」
たったの三行で彼を海山愛好会に入会させてしまったのであった。
(この頃からもきち氏の強引なやり方が各方面から批判されはじめる)
さらにゆうじ、会長、O前、もきちの4人は、
夏休みの一週間で
今まで最遠距離でも往復60キロ弱の京都にしか
行ったことがないにも関わらず、
北海道自転車ツーリングを強行してしまうのであった。
ここまでが俗に第二次西日本何でもケトばす会
ムーブ・メントと称されるが、
もう辞めていいですかなんですかこの長い文章は
もう4時間ぐらいPCに向かいっぱなし
ですよ仕事でもないのに
「何たる莫迦だこの俺は」(柘植久慶風)。
やがて大学に進学していったり浪人していったり、
就職したり、フラフラしたりして
またもや各人はバラバラに進んでいき、
事実上海山愛好会は活動休止状(以下略)。
当時、やはり全然勉強してなくても入学できる
ボンクラ大学2回生(1回だったか)
であったもきちは、
インターネットというものを、
エ○画像を落とすためのものではなく
(当時は回線速度の関係で○ロ動画は一般的ではなかった。)
別のことに利用できないかと考えていた。
そこで彼は自分のHP、
俗に言うヒューレット・パッカードを立ち上げようとしていた。
しかしホームラン・パンチを立ち上げるには
HTMLというマークアップ言何とかや、
FT何とかを使ったファイル転送何とかといった知識が必要で、
そしてそんなことをいちいち覚えていられなかったので、
彼は自分のホーマック・パンパースを持つことを
諦めていたのであった。
しかしその時、彼は大阪日本橋のPCショップにて
ホームページ・ビルダーという
夢のようなソフトを発見、購入してしまう。
そのソフトは値段も夢のようだったので
自給950円の高価格しんどいバイトM屋東梅田店で
働いてしまうがそのことは
ここでは関係がない。
(余談だがここでいうHPの略称は
ホームページであることをここに明記しておく)
そして彼は当時愛読していた
「わしらは怪しい探検隊」角川文庫 椎名誠 著
シリーズの実在団体:「東日本何でもケトばす会」をパクッて
「西日本何でもケトばす会」というHPを作成し始めたのであった。
もちろん、内容は中高ごろの六甲山ゲーセン登山や
北海道自転車ツーリングの話である。
このHPは彼が自ら知り合いに
「これを見ないときっと不幸になりますよ、奥さん」と
脅迫して回ったので、その存在は海山愛好会の面々や
高校水泳部の面々に知れ渡り、
ついには「海山愛好会」を「西日本何でもケトばす会」
に改称する運びとなった。
お腹が減ったのでいったん中断
そして、HPを作成したもきち氏は、
HPに必要な写真(通称ネタ写真)を入手するために、
西日本何でもケトばす会活動を活発に企画、実行、推進、改変、返却
略取、強奪するのであった。
そのころの主な活動パターンは以下のようであった。
「テントや寝袋やバーナーや酒をバイクにくくり付け」もしくは
「テントや寝袋やバーナーや酒を自転車にくくり付け」または
「テントや寝袋やバーナーや酒をザックで根性で背負い」
「300円以下で水場があって人気のない箇所を動物的勘で探し出し」
「宴会焚火穴掘炎相撲を状況に応じて繰り出す」
「翌朝、うぇええと喚きながら目を覚まし、バイトの時間までに
頑張って大阪に帰る」
といった日々であった。
そんなある日、メンバーのゆうじから連絡があった。
「紹介したいヤツがいる。」
もきちは、正直またか・・と思った。
西日本何でもケトばす会がWEBの世界に公開されて以来、
あらゆるメディアで紹介され、もはやジンバブエにおける芸能界は、
彼ら無しでは成り立たなくなっていた。
事実、西ケト会HPのアクセス数は、
一日あたり3ヒットをコンスタントに叩き出し、
そのうちの1ヒットは管理人であるもきちによるものであったのだ。
当然この西ケト会に入会が叶えば、
ジンバブエにおける成功と名誉と富を約束するものであったから、
入会者が引きも切らないことは当然であった。
もきちは、何十回と繰り返した台詞を吐いた。
「ソイツは俺たちのクラブに加入できるほど、骨のあるヤツなのかい?」
ゆうじは言った。
まるでこの一言で、全てを語りつくしたというように。
まるで田口トモロヲのように。
「全身タイツだ。」
信じられないことだった。
もしこの話が本当なら、全身タイツはあのとんねるず以来じゃないか!!
「何だと!!! 今すぐつれて来い!」
風呂に入りたいので中断。
その日は、奇しくも大阪モーター・サイクルショーの開催日であった。
ゆうじ家にその全身タイツ男、ゆうじ、もきちが集まり、大阪南港で開かれる
モーター・サイクルショーに行くことになった。
しかし、ゆうじが紹介した、その全身タイツ男は実際には全身タイツ姿ではなかったし、
とんねるずを熱烈に絶賛するわけでもなかった。
イラついたもきちは名前を尋ねる。
「tanだ。」
また半角英字か。いい加減にしてくれ。管理人のもきちは文字入力モードを切り替える
煩雑さに、いい加減うんざりしていたから、そのH・N(ハンドル・ネーム)にもやはり
うんざりする。
「西ケト会に入会したいらしいが?」
「ああ。」
「入会には、ある種の資格が必要なのは知っているか?」
「資格?」
もきちはその時点で半ば諦めていた。
俺たちのクラブに、こんなとぼけたヤツを参加させることなどできはしない。
「ネタさ。芸といってもいい。ここは大阪だ。わかるだろう?」
もきちは彼を奈良に帰らせようとして、あえて極論を吐いた。
大阪人が皆芸人であるかのような発言は、彼自身ですらまったく
事実ではないことを知っていたからだ。
だが、tanは落ち着き払った態度で、あくまで一語一語、わかりやすく、ゆっくりと、
だが良く通る声で、話し始めた。
「ああ、知っている。だが、俺の資格は、多数の市民が集まり、バイクのイベントには
つきものの、呼んでもいないのにやって来る、K察の監視の中で行うのは、
リスクが高すぎる。」
思いがけず興味を引く言葉だった。
「リスク?」
ヤツの【資格】とやらは、何らかのリスクを伴うものなのか?
世間体?まさか。西ケト会に入会するやつらは、最初からそんなもの捨てている。
「言葉より行動。規律より適当。常識よりネタ。
あんたらのことは良く知っている。次回の潮岬と志摩ツーリングで
俺の資格を示してみせる」
彼は強烈だった。
潮岬ツーリングでは、観光地の那智の滝の帰りのダウンヒルで、
その【バンクバンクフルバンク】ぶりを遺憾なく発揮した。
ゴールデン・ウィーク:通称G・Wであったため、ファミリー・カーの渋滞の中だった。
速度は20〜30キロ。
tanのYAMAHAの250ccバイク:R1-Zのステップは、左コーナーに入るたびに
左ステップから火花が散り、右コーナーに入るたびに右ステップから火花が散った。
いつのまにかtanの後ろのファミリー・カーとの集団から、
50m以上の車間距離が生まれていた。
もきちが愁眉を開いたのは、志摩ツーリングだった。
でも、愁眉を開くの意味がわかりません。すみません。
今日の宿泊地―――海女のおばちゃんが「あんたらが流木を拾ってくれるから、
海岸が綺麗になってええわ。」といってくれた心優しき―――志摩の海岸
で、夕食を開始するころだった。
なぜかtanの姿が10分ほど見えなかった。
今日のtanの様子は少しおかしかった。
もう10月も末だというのに「暑い、暑い」
を連発し、トイレに入ると必ず【大】の方に入り、なかなかでてこなかった。
「ヤツは病気持ちなのか?」
「風邪と下痢を併発しているのでは?」
ゆうじともきちがそんな会話をしているとき、はるかかなたから
黒っぽい物体が近づいてきた。
黒靴下、黒ズボン、黒タートルネックに見える。
そうなると、湾岸ミッドナイトの島達也、通称:ブラックバードだが。
いや・・・・
違う・・・・
【それ】は黒過ぎた。
【それ】はこの世のどんなものにも似ていなかった。
強いていうなら、ダース・ベイダー卿に似ていなくもない。
しかし「シュコー・シュコー」という呼吸音はない。
思い出す。
ゆうじは言った。
まるでこの一言で、全てを語りつくしたというように。
まるで田口トモロヲのように。
「全身タイツだ。」
そう、tanは全身黒タイツだった。
この【仕込み】がバレないように、奈良の出発時点で全身黒タイツを着込んでいたのだ。
なるほど、暑いはずだ。
なるほど、【小】が不可能なはずだ。
その後、「博士」と名乗る男が、ゆうじとtanの罠にかかって西ケト会に入会して来た。
なにしろ彼は「アウトドアよりインドア」と公言して憚らない男である。
即刻脱会は目に見えていた。
しかし彼は
SUZUKIの100ccバイク:アドレスV100という小排気量スクーターで、
敦賀の水晶浜までやって来た。
彼は酒が飲めなかったから、途中でアドレスに乗ってふもとの町まで
買出しに行けた。
彼は強力な照明【携帯蛍光灯】を持っていた。
だが数々のスキルにも関わらず、もきち氏の眼は、夕食をやっと用意して
後は酒を呑み飯を食う段階に達したときのような和んだ眼にはならなかった。
「私にはそれでいい。だが会長のような年寄りには納得することができるだろうか」
彼はここでも「芸」「ネタ」というものに固執していた。
なにしろ会員資格の判断は、最終的には会長が行うものだからである。
結果から言うと、それは杞憂に終わった。
それは、このページの一番上の写真の左の人物を見てもらえばわかる。
この人こそがありお君だからだ。
いつのまにかウェブサイト上での呼び名が博士→ありお
に変わってしまっていたのは私のミスですが、長年何にも言われないところを見ると、
既に諦めておられる許容されている、と判断しております。スマソ。
終わり。
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【梅沢由香里のはじめての碁を要チェックする漢】
こと
OK(会長)
【おしゃれ工房/カンフーエクササイズ講師を見守る漢】
こと
ヘタレ・もきち
(管理人
/米炊技術主任)
【THE・勢い芸人】
こと
勢い・ゆうじ
(炊事班長)

【永遠の38歳】
こと
O前
(現役軍曹)
【元モー娘親衛隊】
こと
センター前
(トルマリン研究家)
【人類最強の巨人】
こと
えがさん
(おみやげは無事故でいいのよお父さん)
【バンクバンクフルバンク】
こと
tan
(戦う公務員志望の猛烈営業マン)
【インドアの海】
こと
ありお
(動物博士) |